——新潟県中越地震から20年【最新版】
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2004年10月23日、新潟県中越地方を激しい揺れが襲いました。震源に近い旧山古志村(現・長岡市山古志)は、村内すべての集落が孤立し、人口の9割近くが自衛隊ヘリコプターで救出されるという、全村避難を経験しました。あれから20年以上——山古志は棚田と錦鯉の里として、静かに、しかし力強く復活を遂げています。この記事では、震災の記憶を伝える場所から、世界中のファンを惹きつける錦鯉文化、そして「デジタル村民」という前例のない挑戦まで、山古志の「いま」をご紹介します。あわせて、同じ震災で被災した小千谷市・十日町市の物語もお届けします。
2004年(平成16年)10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しました。震源に近い川口町(現・長岡市)では、震度計による観測として史上初めてとなる震度7を記録。山古志村・小千谷市・小国町(いずれも現・長岡市)でも震度6強、十日町市でも震度6弱〜6強という激しい揺れを観測しました。この地震により68人が亡くなり、4,805人が負傷。住宅の全壊は3,175棟にのぼります。
山古志村では、地滑りや土砂崩れで村内14集落すべてが孤立し、人口約2,100人のうち約1,800人が自衛隊ヘリコプターで救出される「全村避難」となりました。避難生活は最長で3年2ヶ月におよび、避難指示が全面解除されたのは震災から2年半後の2007年4月のことでした。なお、この地震では直接的な被害だけでなく、新潟県内の被災地から離れたエリアの観光にまで客足が遠のく「風評被害」も広がったといわれています。震災の影響は、揺れの直接的な被害だけでは測れないということも、あわせて知っておきたい事実です。
それから20年以上が経ち、山古志は帰村を果たした住民の方々の努力によって、震災前とは違う形で新しい魅力を育んできました。このシリーズの中では珍しく、「訪れることが今すぐ力になる」というより、「20年という時間が積み重ねてきた復興の物語を知る」というトーンでお届けします。
山古志を訪れたら、まず立ち寄りたいのが「やまこし復興交流館 おらたる」です。入館無料・予約不要で、震災の記録・住民の証言・当時の写真などを、プロジェクションマッピングも交えて紹介しています。カフェや直売所も併設されており、山古志観光の起点になる施設です。起伏の多い山古志を効率よく巡りたい方には、E-BIKE(電動アシスト自転車)のレンタルもおすすめです(4時間まで1,000円、1日乗り放題1,500円、積雪期の11月〜4月中旬は受付不可)。
ここから車で少し足を延ばすと、「木籠(こごも)集落」があります。地滑りで川がせき止められ、集落そのものが水没するという被害を受けた場所で、今も水没した家屋の一部が保存され、「木籠メモリアルパーク」として震災遺構になっています。当時、この地域を含む7市町村61集落で外部に通じる道路がすべて寸断され、1,938世帯が孤立したという記録が残っています。震災当時25世帯あった木籠集落は、半分近くまで減少しながらも16世帯が村に戻ることを決め、水没した家屋を望む高台に集団移転して再建されました。
集団移転先の隣接地には、交流スペース「郷見庵(さとみあん)」があります。1階は地元の農産物直売所、2階には震災当時の写真や資料が展示され、自由に見学できます。もともとは仮設住宅で暮らしていた頃、集落の人たちが交流できる休憩所として始まった場所で、今も地域内外の人が気軽に立ち寄れる交流拠点になっています。2階の展示の一角には、こんな手書きのメッセージが残されています。「いっぱい泣いてください。その後に笑ってください。私もそうでした。必ず道はひらけます」——静かな水面に沈む家屋と、このメッセージを前にすると、報道や資料だけでは伝わらない震災の実感がこみ上げてきます。
Oratal and Kogomo — a recovery center and a partially submerged village, both preserving the memory of the day Yamakoshi was cut off from the world.
錦鯉は、山古志が発祥の地です。豪雪地帯の冬を越すための貴重なタンパク源として飼育されていた真鯉から、突然変異で赤い模様のある「色鯉」が生まれ、改良を重ねて今の姿になりました。震災では養殖池が崩落・孤立する中、ヘリコプターで錦鯉2,200尾余りを救出する「大救出作戦」が行われたことも、山古志の錦鯉史を語る上で欠かせないエピソードです。
令和6年の日本の錦鯉輸出額は過去最高の約72億円、輸出先は欧州を中心に50か国以上。10月・11月の品評会シーズンには、海外バイヤーや愛好家が数多く山古志を訪れます。長年通い続けるドイツ人バイヤーは「山古志のブリーダーたちは、お金もうけだけで育てているのではないのがわかる」と語り、オランダ人バイヤーの中には6週間も滞在し「第二の故郷」と呼ぶ人もいるほど。ある養鯉場では、震災後を知る3人兄弟が家業を継ぎ、世界中から訪れる客を迎えています。田んぼをやめて棚池(養鯉用の池)に転用する農家も増えており、「鯉がなかったら山古志はどんどん田んぼをやめて水害が起きる」という地元の声もある通り、錦鯉は今や山古志の景観と防災を支える存在でもあります。
Nishikigoi — born in Yamakoshi, now drawing breeders and collectors from over 50 countries every autumn.
人口約800人の限界集落となった山古志が、2021年12月、世界的にも例のない取り組みを始めました。「山古志住民会議」が発行した、錦鯉をモチーフにしたデジタルアート「Nishikigoi NFT」は、単なるアート作品ではなく、山古志地域の「電子住民票」の意味合いを兼ねています。長岡市公認のプロジェクトです。
NFTを持った人は「デジタル村民」として認められ、インターネット上のコミュニティで意見を交わしたり、地域づくりの話し合いに参加したりできます。発行から約1年で、デジタル村民の数はリアルな山古志の住民数を超え、現在は1,000人以上(時期により1,600人規模との報告も)が参加。中には実際に山古志を訪れる「リアル帰省」をしたデジタル村民もいるといいます。震災で人口が急減した集落が、テクノロジーを使って「地球のどこにいても関われる村」という新しい形を模索している——これも、山古志らしい復興のかたちです。
正直にお伝えすると、実際にNFTを手に入れる手続きは、「仮想通貨(暗号資産)の口座を開く」「ネット上の専用の財布(デジタルウォレット)を用意する」といった、パソコンやスマートフォンの操作に慣れていないと少しハードルの高い作業になります。公式サイトの案内にも英語表記の部分があり、決して簡単な手続きではありません。「自分もデジタル村民になってみよう」と思い立った際は、無理に一人で進めようとせず、お子さんやお孫さんなど、詳しい方に手伝ってもらいながら進めるのが安心です。また、NFTの世界には本物そっくりの偽サイトも存在するため、購入する際は必ず公式サイトからのリンクであることを確認してください。もちろん、NFTを持たなくても、「そういう取り組みがある」と知るだけでも、山古志という土地への十分な応援になると思います。
Nishikigoi NFT — a “digital residency” that has brought Yamakoshi more online neighbors than it has residents living there.
山古志の牛の角突きは、国の重要無形民俗文化財に指定された、1000年以上の歴史を持つ闘牛です。他の闘牛と大きく違うのは、牛を傷つけないよう「引き分け」で勝負を止めるルールがあること。震災では約1,200頭の牛が空路・陸路で救出され、震災翌年の2005年5月には早くも仮設闘牛場で角突きが再開されました。以来、闘牛女子部の創設や、牛のオーナー制度による地域外の人たちの参画も生まれ、牛の角突きは「復興の象徴」と呼ばれるようになっています。棚田と錦鯉の棚池が織りなす景観は「日本農業遺産第1号」にも認定されており、田植え後の田んぼに錦鯉の稚魚を放つ、この地ならではの原風景が広がります。
もう一つ、山古志で親しまれているのが「山古志アルパカ牧場」です。震災5年後の2009年11月、「山古志が元気になる役に立てば」と、アメリカ・コロラド州から3頭のアルパカが贈られたのが始まり。今では油夫(ゆぶ)牧場・種苧原(たねすはら)牧場の2ヶ所に分かれ、地域住民の有志によって育てられています。見学無料、えさやり体験(1袋100円)もでき、地域の子どもたちが名付け親になったアルパカもいるという、まさに「地域のアイドル」です(冬期間は越冬のため見学不可)。
Ushi no Tsunotsuki and alpacas — a thousand-year-old bullfighting tradition, and a herd of alpacas sent from Colorado to cheer the village on.
長岡市の酒蔵「お福酒造」は、山古志の棚田米を使った「特別純米酒 山古志」を醸しています。震災では醸造蔵・精米工場が倒壊し、初年度の被害総額は6,000万円。倒壊した蔵はつっかえ棒とトタン板で応急修理し、安全確認が取れた2005年2月からようやく醸造を再開しました。米作りを続けた生産農家も、当初はわずか3名。仮設住宅から、被害の少なかった田んぼの一部に通いながら米作りを続けたといいます。2007年には山古志酒米生産者協議会が発足し、参加農家は15名まで拡大。棚田もほぼ修復され、新しい仕込み蔵も完成しました。2024年11月には、震災20年の節目に合わせて、山古志産の酒米を100%使った新商品も発売されています。
お福酒造は、明治30年(1897年)創業。創業者・岸五郎は単なる蔵元にとどまらない、酒造研究者としての一面も持ち合わせていました。明治42年(1909年)、酒母造りに乳酸を添加する製法を発明。これは「速醸もと」と呼ばれ、今も全国の日本酒造りの基本技術として使われている、日本の醸造史に残る大発明です。仕込み水は、岸五郎が自社の山中で発見した「大清水(おおしみず)」という、地元で何百年も飲み継がれてきた軟水の湧き水。今も当時のままの横井戸から汲み上げているといいます。1985年頃から大手メーカー酒の流入で苦戦した時期もありましたが、社員が東京・上野で手作りのキャンペーンを行ったことがきっかけとなり、県外への販路を切り開いてきました。その延長線上に、2022年11月にオープンした東京・恵比寿ガーデンプレイスの直営店「福の蔵 by お福酒造」があります。長岡から遠く離れた東京の街でも、山古志と同じ水と米から生まれた「福」を届け続けているのです。
Ofuku Shuzo — a sake brewery that patched its collapsed storehouse with corrugated tin and kept brewing.
山古志のすぐそばには「蓬平(よもぎひら)温泉」があります。1390年創建と伝わる、商売繁盛の龍神様「高龍神社」の参道に、朱塗りの大鳥居をくぐった先、清流沿いに3軒の湯宿が並ぶ小さな温泉郷です。この蓬平温泉も、中越地震で大きな被害を受け、当時「旅館が廃業の危機に立たされている」と報道でも取り上げられたエリアでした。それでも地元の努力と、常連客からの激励に支えられ、3軒とも営業を再開。今では「山古志の震災の爪痕と復興の様子を見学してから宿に入る」という過ごし方をする方も多いといいます。
Yomogihira Onsen — three inns that rebuilt themselves around a dragon shrine, once reported to be on the verge of closing forever.
全国的に有名な日本酒「久保田」は、長岡市の朝日酒造が醸す銘柄です。天保元年(1830年)創業、屋号「久保田屋」にちなんで1985年に生まれたブランドで、朝日酒造もまた2004年の中越地震で被災した蔵元のひとつです。特に印象的なのが「勝保河内(かつほこうち)」という地区の棚田です。地震による土砂崩れで水路が断たれ、棚田そのものが埋まってしまいましたが、朝日酒造の農業生産法人「あさひ農研」が中心となって棚田を復元し、今も手間のかかる棚田米の栽培を続けています。そして2026年8月、令和8年熊本地震の被災地に義援金300万円を寄付した朝日酒造は、「2004年に発生した新潟県中越地震で被災した際、多くのご支援をいただきました」とコメントしています。かつて支援された蔵が、20年余りの時を経て、今度は別の被災地を支える側に回った——そんな一献です。
Kubota — brewed by Asahi Shuzo, a Nagaoka brewery once rebuilt with the help of others, now paying that support forward to Kumamoto.
小千谷市も震度6強を記録した被災地です。「おぢや震災ミュージアム そなえ館」では、地震シミュレーターなどを通じて当時の様子を体感できます。2026年6月27日、これまでの「楽集館」から、新施設「ソコラテ」内へ移転オープンしました(移転準備のため2026年3月〜6月は休館していました)。小千谷市は、国の重要無形文化財「小千谷縮」をはじめ、「小千谷紬」の産地としても知られていますが、実は震災直後、興味深い出来事がありました。当時の現地取材によると、報道は倒れた織機の映像を強調して「壊滅状態」という印象を広めましたが、実際には多くの織機が修理可能で、京都・名古屋の問屋筋が「地震で生産量が減り希少価値が上がる」と見込んで注文を増やしたことで、受注は震災前より増えたといいます。震源地・川口町に住む職人の家も、織機は無事で、織り上げたばかりの反物も奇跡的に助かったという証言も残っています。震災報道の”イメージ”と”実態”の違いを教えてくれる、興味深いエピソードです。
十日町市も震度6弱〜6強を記録し、死者9人、住宅全半壊1,200棟超という被害を受けました。十日町は、正倉院所蔵の麻布にまでルーツをさかのぼる1,200年以上の織物の歴史を持つ、全国屈指のきもの総合産地です。十日町絣(十日町紬)、十日町明石ちぢみ、十日町友禅、十日町小絣、マジョリカお召など、多彩な織物・染めの技法が今も受け継がれています。震災後、「十日町市古文書整理ボランティア」が被災した旧家に残る古文書の整理・保存活動を行う中で、江戸時代の縮問屋(ちぢみどんや)の記録が発見されました。この資料は、縮を織り上げた織り子たちの暮らしや、当時の織物産業の実態を伝える貴重な歴史資料として、2021年には国立民族学博物館の特別展「復興を支える地域文化」でも紹介されています。震災が、地域の文化史を掘り起こすきっかけになったという、静かながら意義深い物語です。
十日町市博物館(TOPPAKU)も、この震災の当事者でした。国宝「火焔型土器」57点のうち、免震台に展示されていたにもかかわらず縦揺れで転倒し、20点に緊急修理が必要な破損が生じました。その後の修復を経て、現在は無事に展示されています。震災専門の資料館は市内にありませんが、この博物館自体が「震災を乗り越えた場所」だといえます。なお、隣接する十日町市・津南町では、過疎地域の再生を目指す現代アート芸術祭「大地の芸術祭」も開催されており(次回2027年7月〜11月)、中越地震で休村した集落の跡地を巡る作品も展示されています。
全村避難という未曾有の経験をした山古志は、20年以上をかけて、震災前とは違う形の復興を遂げてきました。世界中から愛される錦鯉、前例のない「デジタル村民」という挑戦、そしてトタン板で応急修理した蔵から生まれた一杯の酒——そのどれもが、逆境をしなやかに乗り越えてきた証です。小千谷・十日町の織物文化も含めて、この機会に中越地震から生まれた物語に触れてみませんか。
「訪れることが難しい」という方や、「山古志・中越を応援したい」という方には、ふるさと納税という選択肢もあります。日本酒・お餅・織物など、この地域ならではの返礼品をご紹介します。
錦鯉・日本酒・織物など、山古志・小千谷・十日町ならではの名産品が返礼品として選べます。
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