想いを贈る岩手復興応援の旅 ——東日本大震災【最新版】

旅行

IWATE / SANRIKU
想いを贈る岩手復興応援の旅
——東日本大震災【最新版】
15年が経ったいまの三陸を、三陸鉄道に乗って訪ねる旅
Iwate, Sanriku — 15 years on, riding the railway that became a symbol of recovery.

※本記事にはアフィリエイト広告が含まれます。

2011年3月11日、三陸の海を襲った大津波から、まもなく15年が経とうとしています。岩手県沿岸部は、明治・昭和の三陸地震津波、チリ地震津波と、繰り返し津波に見舞われてきた土地でもあります。この記事では、震災の記憶を今に伝える施設や、震災を乗り越えて生まれた新しい物語を、震災復興の象徴ともいわれる三陸鉄道の旅とともにご紹介します。訪れることが、この土地の力になります。

📋 東日本大震災と岩手県の被害について

2011年(平成23年)3月11日14時46分、宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。日本周辺における観測史上最大の地震です。地震そのものの揺れに加え、大規模な津波が三陸沿岸を襲い、岩手県宮古市では8.5m以上、大船渡市では8.0m以上の津波が記録されています。岩手県内の人的被害は死者・行方不明者あわせて約5,800〜6,300人にのぼり、全犠牲者の9割以上が津波によるものでした。

震災から15年、沿岸部の鉄道・道路インフラはほぼ復旧し、震災の記憶を伝える伝承施設も各地に整備されています。この記事では、「訪れることが今すぐ力になる」段階を過ぎた地域だからこそ語れる、15年という時間の重みと、そこから生まれた新しい物語をお伝えします。

岩手県の白地図

久慈市

宮古市・田老
津波8.5m以上

山田町

大槌町
犠牲者率10.7%

釜石市

大船渡市
津波8.0m以上

陸前高田市
犠牲者率10.7%

特に甚大な津波被害
大きな被害
記事内で紹介するエリア

※おおよその位置関係を示す簡易図です。正確な行政区域とは一致しません。

1️⃣
STEP1:陸前高田市(奇跡の一本松・発酵のまち)
7万本の松林で残った1本の木と、諸味だけが残った200年の蔵

🗺️ JR大船渡線BRT「奇跡の一本松駅」下車すぐ

奇跡の一本松

約350年前から植林され、7万本もの松が茂っていた「高田松原」。東日本大震災の津波は、この松林をたった1本を残してなぎ倒しました。奇跡的に生き残った「奇跡の一本松」は、その後枯死したものの、防腐処理と鉄の芯を入れたモニュメントとして保存され、復興のシンボルとして全国に知られています。現在、一本松の東側では「高田松原津波復興祈念公園」の整備が進み、高さ12.5mの防潮堤に海を望む献花台が設けられているほか、松林と1.2kmの砂浜も再生中です。

公園に隣接する「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」は、実際に被災したものや当時の映像・写真を通して、震災の事実と教訓を伝える施設です。入館無料で、団体の場合は解説員による案内も受けられます。震災遺構として保存された「タピック45」(旧・陸前高田市観光情報センター)も、松林のすぐそばに残されています。

陸前高田には、もうひとつの”奇跡”があります。1807年創業、200年以上続く味噌・醤油の老舗「八木澤商店」は、震災で築190年の蔵も工場も、すべての商品も津波で流されました。しかし、研究用に外部保管されていた「諸味(もろみ)」だけが奇跡的に被害を免れ、再建した工場で「奇跡の醤(ひしお)」として200年の伝統の味を復活させています。震災直後、従業員たちは避難所に届く支援物資が「家が残った人には届いていない」ことに気づき、いち早くトラックで各家庭を回る配達を続けていたといいます。

現在、八木澤商店はかつて醸造業が盛んだった気仙町今泉地区を「発酵のまち」として再興する取り組みの中心にいます。発酵をテーマにした商業施設「CAMOCY(カモシー)」内には、味噌・醤油の魅力を味わえる「発酵食堂やぎさわ」があり、高田町のアバッセたかた専門店街には「やぎさわカフェ」も出店。9代目社長の河野通洋さんは「自分たちが食べておいしく、安全・安心なものをお客様にお裾分けする」という創業以来の考えを、今も大切にしていると語っています。陸前高田には、味噌・醤油だけでなく、日本酒の蔵元「酔仙酒造」もあります。震災でどのような被害を受けたかは、番外編で詳しくご紹介します。

アクセスは、JR気仙沼駅から大船渡線BRT(震災で被災した鉄道区間がバス高速輸送システムに転換された路線)で約30分、「奇跡の一本松駅」下車すぐです。

The Miracle Pine — and another kind of miracle: a 200-year-old soy sauce brewery that saved its starter culture from the tsunami.

奇跡の醤・お取り寄せ八木澤商店の味噌・醤油


通称「誓いのホテル」・全室オーシャンビューキャピタルホテル1000
震災前は海の近くに建っていましたが、津波で建物の4階部分まで浸水し、全壊しました。三菱商事復興支援財団の出資や地元信用金庫の融資など、多くの支援を受けて、約2km西の高台へ移転。震災からわずか2年半後の2013年11月、営業を再開しました。「どんな困難にも負けない、強くて幸せな結婚を誓うホテルになる」という理念から「誓いのホテル」の愛称で親しまれ、広田湾を一望できるチャペルでは実際に結婚式も挙げられます。全40室すべてがオーシャンビューで、地産地消の会席料理も評判です。館内にはあえてお土産をあまり置かず、「街に出て買い物を楽しんでほしい」という地域への思いを大切にしています。
Capital Hotel 1000 — nicknamed the “Hotel of Vows,” rebuilt on higher ground after the tsunami reached its fourth floor.
全室オーシャンビュー
震災から2年半で再建
広田湾を望むチャペル

2️⃣
STEP2:釜石市(鵜住居復興スタジアム・釜石の出来事)
学校管理下の児童生徒、全員が生き延びた場所

🗺️ 三陸鉄道「鵜住居駅」から徒歩約16分

「釜石鵜住居復興スタジアム」は、2019年ラグビーワールドカップ日本大会で、東北地方唯一の会場として新設されたスタジアムです。震災前、この場所には釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校が建っていました。津波が襲った際、学校管理下にあった児童・生徒全員が無事に避難できたことから、この出来事は「釜石の出来事(釜石の奇跡)」と呼ばれるようになりました。

その避難の経緯は、子どもたち自身の判断の積み重ねでした。地震発生直後、釜石東中学校の生徒たちはすぐに校庭へ駆け出しました。隣の鵜住居小学校では児童・教師が校舎3階への避難を試みていましたが、「3階より高い津波が来たら大丈夫なの?」という声と、避難する中学生の様子を見て、校舎を駆け下り合流。避難先の施設にたどり着いた際、裏山が崩れかけている様子を見た生徒が「ここじゃだめだ」とさらに高台への避難を先導し、また高台へ——という判断を繰り返した末、児童・生徒約570人全員が無事に避難できました。高台に着いた直後、背後で津波が学校とまちを飲み込んだといいます。

スタジアムのそばには「釜石祈りのパーク」があります。鵜住居駅前地区の11メートルの浸水高を示す津波高モニュメント、東日本大震災慰霊碑、防災市民憲章の碑、そして多くの方が犠牲となった鵜住居地区防災センター跡地を示す碑からなり、隣接する「いのちをつなぐ未来館」と合わせて、防災・復興学習ができる場所になっています。釜石市全体では、震災で912人が死亡、152人がいまも行方不明のままです(関連死含む)。

ラグビーどころとして知られる釜石市にとって、ワールドカップ誘致は「復興に対する感謝を世界に伝え、市民の心の復興を目指す」という意味を持っていました。スタジアム見学プログラムでは、誘致から試合当日までのエピソードや、普段入れない内部の見学ができます。

釜石のシンボル「釜石大観音」(高さ48.5m、魚を手にした日本一の魚籃観音)へ上がるエレベーターの入口には、「奇跡の石」と呼ばれる石があります。東日本大震災の大津波に耐えたこの石には、幸運を呼ぶといわれる水晶が埋め込まれており、観音様内部の展望台からは釜石港を一望できます。


釜石は、江戸末期から150年以上にわたって鉄づくりが行われてきた「近代製鉄発祥の地」でもあります。世界遺産「橋野鉄鉱山」がそのルーツです。震災では、新日本製鐵(現・日本製鉄)釜石製鐵所の自社港湾設備が壊滅的な被害を受けましたが、わずか1ヶ月というスピードで生産を再開しました。生産再開の日、当時の社長は釜石を訪れ、「釜石は近代製鉄発祥の地。先達が苦労して近代製鉄を始めた場所である。新日鉄ある限りこの釜石とともに歩む」と所員を激励しています。市内の石応禅寺には、さらに古く1896年(明治29年)の明治三陸地震津波で犠牲になった、当時の製鉄所社員を弔う石碑が今も立っており、東日本大震災の津波もこの寺の手前まで迫ったといいます。130年近い時を超えて、同じ製鉄の系譜が津波と向き合い続けてきた土地なのです。橋野鉄鉱山へは、三陸鉄道リアス線で釜石駅まで行き、そこから路線バスやタクシーでアクセスできます。

高台の大平町にある「鉄の歴史館」では、こうした釜石の製鉄の歴史を、原寸大に復元された高炉の大模型や映像で学ぶことができます。震災から復興した近代製鉄発祥の地の歩みを、震災の語り部ガイドと組み合わせて案内するツアーも用意されており、展望テラスからは釜石大観音や釜石湾も一望できます。


Kamaishi’s “miracle” — a chain of children’s own split-second decisions that saved every student under school supervision that day.

女将自らが震災を語る宿・根浜海岸浜べの料理宿 宝来館
1963年創業、根浜海岸のすぐそばに建つ旅館です。震災当時、宝来館は地域の避難指定ビルになっており、女将の岩崎昭子さんは避難誘導の最後、裏山へ駆け上がる寸前に津波にのまれました。一緒に流された2人のスタッフと助け合い、マイクロバスの屋根から山の斜面へ飛び移り、間一髪で命をつないだといいます。宝来館に逃げた人からは1人も犠牲者が出ませんでしたが、板長をはじめ従業員数名が津波の犠牲になりました。女将は「命をもらった」と語り、今も自ら震災語り部として活動を続けています。現在はオールインクルーシブの宿として生まれ変わり、三陸で水揚げされた海の幸を味わえる料理、大槌湾を望む露天風呂に加え、宿泊プランには女将による震災語り部の体験も含まれています。震災2ヶ月後には、新日鉄釜石ラグビー部の流れを汲む「釜石シーウェイブス」の関係者が見舞いに訪れたというエピソードもあり、ラグビーの物語とも静かにつながっている宿です。
Horaikan — an inn where the innkeeper herself survived the tsunami by climbing onto a minibus roof, and now shares that story with every guest who stays.

3️⃣
STEP3:宮古市・田老(学ぶ防災ガイド)
「海が見える高台のまち」が、防潮堤の向こうに消えた理由

🗺️ 三陸鉄道リアス線「新田老駅」から徒歩約7分

田老地区は、1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸大津波と、過去2度にわたって壊滅的な被害を受けてきた土地です。これを教訓に、総延長2,433m・高さ10mにおよぶ「万里の長城」とも呼ばれる巨大な防潮堤が整備されましたが、2011年の津波はその防潮堤を超え、181人の死者・行方不明者を出しながら町を襲いました。

復興にあたり、田老地区の「復興まちづくり計画」が掲げた柱は「海が見える高台のまち」「遠くから買いに来たいと思う土産のあるまち」「活気ある商店街の復活」の3つでした。しかし現実には、住民との話し合いを重ねた末、海側の防潮堤は14.7mへとさらに高く新設され、内陸側にも10mの防潮堤を残す「二重の防潮堤」という選択がなされました。高台に移転した住宅地「三王団地」からも、実は海を望むことはできません。防潮堤に囲まれたまちに、かつての港町の風情は失われた——そう指摘する声もあります。「海が見える高台のまち」という理想と、命を守るための高さを優先した現実。簡単に答えの出ない葛藤が、今もこの町には残っています。


それでも、震災後に生まれた良い変化もあります。三陸沿岸道路の整備にあわせて移転・リニューアルした「道の駅たろう」は、国土交通省の重点道の駅に認定され、名物「どんこ(エゾイソアイナメ)唐揚げ丼」を求める人で賑わいます。隣接する「たろう潮里ステーション」には、被災前の田老地区の街並みを再現した復元模型が展示され、震災前の記憶をとどめる場所にもなっています。田老には、絶景スポット「三王岩」(高さ37mの巨大な奇岩群)もあり、学ぶ防災ガイドではオプションでこちらを案内してもらうことも可能です。

現在、宮古観光文化交流協会が提供する「学ぶ防災ガイド」では、防潮堤の上を歩きながら震災当時の様子を聞き、震災遺構として保存されている「たろう観光ホテル」(4階まで浸水、マスコミ未公開の津波映像も上映)を見学できます。累計16万4千人以上が利用してきた、地域を代表する震災伝承プログラムです(1時間コース・2時間コースあり、要事前予約)。案内スタッフの一人は、あえて「語り部」ではなく「学ぶ防災」という名前を付けた理由について、「過去の記録として振り返るだけでなく、今に活かす学びにしたいから」と話しています。

宮古市には、国の名勝「浄土ヶ浜」もあり、震災伝承と自然景観の両方を楽しめるのも魅力です。三陸鉄道リアス線とJR山田線が乗り入れる宮古駅が拠点になります。

Tarō’s seawall was called the “Great Wall” — until the 2011 tsunami went over it. The town rebuilt higher still, at the cost of the ocean view it once hoped to keep.

震災を学ぶ体験学ぶ防災ガイド
通常コース(60分):1〜9名5,000円、10〜19名8,000円、20名以上10,000円。エココース(体験コース・90〜120分)は宮古市災害資料伝承館の見学も含まれます(2026年6月1日改定の新料金)。

「たろう観光ホテル」の生まれ変わり渚亭たろう庵
田老地区の高台に建つ、この宿こそが震災遺構「たろう観光ホテル」の”後継”です。津波で1階・2階が流失しながらも倒壊を免れた旧ホテルの事業者が、震災後に高台へ移転新築し、2015年4月「渚亭たろう庵」として営業を再開しました。宿泊プランの中には、宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災」ツアー(震災遺構たろう観光ホテルの内部見学つき)を組み込んだものもあり、宿泊と震災学習を一体的に体験できます。三陸の海の幸を使った料理と、田老・宮古の海を望む客室も魅力です。
Nagisatei Tarōan — built by the same operators who once ran the Tarō Kankō Hotel, now offering stays paired with a guided tour of the ruins it left behind.

4️⃣
STEP4:大槌町(震災を越えて)
津波、そして2026年の山火事——2つの災害を越えて

🗺️ 三陸鉄道リアス線「大槌駅」下車

大槌町は、東日本大震災の被災地の中でも、特に大きな犠牲を払った町のひとつです。人口に対する犠牲者の割合(犠牲者率)は10.7%と、宮城県女川町(11.2%)に次いで岩手県内で最も高く、陸前高田市と並んでいます。町を襲った津波は10mを超え、防潮堤を破壊し、その後の大火災が町の中心部の多くを焼失させました。

特に痛ましいのが、役場そのものが被災したことです。津波接近の情報を受け、当時の町長を含む職員約60人が屋上への避難を試みましたが、全員が避難しきる前に津波が襲い、町長を含む職員33人が犠牲になりました。震災で命を落とした首長は、全国でも大槌町長が唯一とされています。大槌町は、明治三陸地震津波(死者900人)、昭和三陸地震津波(死者61人)でも大きな被害を受けており、繰り返し津波と向き合ってきた歴史を持つ町でもあります。

現在は、震災の記憶を伝える「大槌町文化交流センター おしゃっち」などが整備され、町の歩みを学べる場所になっています。三陸鉄道リアス線の大槌駅からアクセスできます。

大槌町は、震災だけでなく、別の災害にも見舞われています。2026年4月22日、小鎚地区・吉里吉里地区で山林火災が発生。強風と乾燥の影響で延焼が拡大し、最大1,633ヘクタールが焼失、町人口の約3割にあたる1,558世帯3,257人に避難指示が出されました。地上ではおよそ1,400人の消防・応援隊、上空からは自衛隊・防災ヘリが消火にあたり、11日目の5月2日に鎮圧しています。避難した住民の一人は、「津波に地震に、今回は山火事に遭って。また大きな災害がいつくるかわからないからね」と語ったといいます。15年前に津波で大きな被害を受けた町が、今度は山火事という別の災害を乗り越えたのです。

火災後、大槌町観光交流協会は「買って応援」プロジェクトを立ち上げ、鹿肉のシチューやカレー、サーモンの缶詰、大槌が元祖とされる「磯ラーメン」など、山の幸・海の幸をお取り寄せできる特設販売を行っています。

Ōtsuchi lost nearly one in ten residents, including the mayor and most of the town hall staff, in a single afternoon — and in 2026, faced a second disaster in a wildfire that displaced a third of the town.

お取り寄せ・恩送りの物語大槌の山の幸・海の幸

山火事発生直後、大槌町観光交流協会とMOMIJI株式会社は「岩手県大槌町 山火事被害復興支援〜大槌町産品を買って応援〜」として、売上の10%を大槌町や支援団体に寄付するキャンペーンを立ち上げました。運営元である大槌孫八郎商店では、この企画は多くの支援と励ましを受けて幕を閉じ、現在は「令和8年熊本地震応援企画」として、売上の15%を熊本地震の被災地へ寄付する「恩送り復興支援」に切り替わっています。山火事で支援を受けた側だった大槌が、今度は別の被災地を支える側に回る——そんな物語です。一方、MOMIJIの公式オンラインショップでは、本記事執筆時点でも大槌町山火事復興支援の企画が続けられています。どちらも、大槌の恵みを味わいながら応援できる窓口です(キャンペーンの実施状況は変わる可能性があるため、購入時に各サイトでご確認ください)。

🗣️ 地元の人から、直接話を聞く

「おらが大槌夢広場」は、震災後に発足した地元発の団体です。20代〜40代の大槌町民と、外部から関わる人たちが混ざり合いながら、「町を育てる人を育てる」ことを目指して活動しています。語り部ガイドツアーでは、震災で人口の約1割、そして当時の町長を失った大槌で、あの時何が起き、人々が何を思い、生きてきたのかを、地元の方の生の声で聞くことができます。「あなたなら、どうする?」という問いを投げかけながら案内してくれるのが特徴です(1〜5名一律5,000円、6名以上は1名につき1,000円ずつ追加、通年営業)。実際に現地を歩きながら、震災当時の話や、今の大槌の姿を地元の人の言葉で聞くことができます。

花言葉は「逆境に立ち向かう」・浪板海岸三陸花ホテルはまぎく
昭和48年創業「浪板観光ホテル」として親しまれてきた、浪板海岸唯一のホテルです。震災の津波で社長と料理長を失うという大きな犠牲を払いながらも、宿泊していた秋田からの団体客を無事に避難させたことで話題になりました。ホテル名の由来は、皇室との特別な絆にあります。平成9年、当時の天皇皇后両陛下がこのホテルにご宿泊された際、海岸に咲く「はまぎく」の花を大変気に入られ、当時の社長が種をお贈りしたというエピソードが残っています。震災後、皇居から被災地へ「はまぎくの花言葉、逆境の花のように」という励ましの言葉が寄せられたとされ、2013年8月30日、その花言葉「逆境に立ち向かう」を胸に、「三陸花ホテルはまぎく」として復興オープンしました。客室からは三陸の海を一望でき、大浴場も海に面したロケーション。ウニ・あわびを使った会席料理や、海辺のテントサウナ体験も楽しめます。
Sanriku Hana Hotel Hamagiku — named after a flower the Emperor and Empress once admired here, reopened after the tsunami under its Japanese meaning: “standing firm against adversity.”

創業300年・「絆」の名を掲げた宿小川旅館 絆館
幕末から続く、創業300年の老舗旅館です。震災前は大槌駅の近くにありましたが、津波とそれに伴う火災で旅館を全焼。ご主人と女将さんは一時廃業も考えたといいます。それでも翌2012年12月3日、現在の場所に「小川旅館 – 絆館 –」として仮再建しました。元の場所は盛り土工事・区画整理が完了したものの、資金面の課題から本設での再建の見通しはまだ立っていないそうです。女将さんは「震災を理由に、再建できなかったと言いたくなかった。お客様あっての自分たちであり、大変な状況でもお客さんからのメッセージに支えられ、今がある」と話しています。栄養士資格を持つ女将さんによる家庭的な手料理が評判で、名物は「鮭餃子」、三陸の幸を盛り込んだ「オール三陸 絆御膳」も味わえます。
Ogawa Ryokan Kizunakan — a 300-year-old inn that lost everything to the tsunami and fire, rebuilt the following year under a new name: “the inn of bonds.”

5️⃣
STEP5:大船渡市(600人を救った体育館と、ど根性ポプラ)
世界三大漁場のひとつ、三陸漁場の中枢港

🗺️ 大船渡線BRT「大船渡駅」下車

大船渡市は、深く入り組んだリアス海岸を持つ、世界三大漁場・三陸漁場の中枢港です。本州トップクラスの水揚げ量を誇るサンマ、最高品質のワカメ、江戸時代から名産として知られるアワビが名物。震災では死者340人・行方不明79人という大きな被害を受け、5,592世帯が被災、約9千人が避難所生活を強いられました。

三陸町綾里では、震災直後の避難行動が今も語り継がれています。綾里中学校の生徒約300人は、津波で寸断された道路を避け、素手で崖をよじ登り、直線距離800mの「三陸B&G海洋センター」の体育館を目指しました。綾里小学校の児童や近隣住民と合わせて約600人が体育館に避難し、駐車場に集まった車約100台の中には車中泊を余儀なくされた人もいたといいます。支援物資が届かない中、館内は反射式ストーブ、屋外はバーベキューコンロで暖を取ったという証言も残っています。一方、綾里地区の白浜という集落では、昭和三陸津波の教訓から高台に自宅を再建する習慣が世代を超えて受け継がれており、東日本大震災でも人的被害はゼロでした。三陸の海は、1960年のチリ地震津波でも大船渡市だけで53人の犠牲者を出しており、繰り返し津波と向き合ってきた土地です。

壊滅的な被害を受けた中心市街地には、東日本大震災に耐えて今も自生するポプラの木「ど根性ポプラ」が復興のシンボルとして立っています。現在、区画整理を経て「キャッセン大船渡」という商業エリアが誕生し、レストラン・カフェ・お土産店が並ぶ賑わいを取り戻しました。隣接する「夢海(ゆめみ)公園」には、震災前と同じ場所でお花見ができるようにと、県外から桜の木が寄贈され植えられています。

震災の記録を伝える施設としては、JR大船渡駅前の「おおふなぽーと(大船渡市防災観光交流センター)」があります。ここを拠点に活動していた語り部団体「大船渡津波伝承会」は2013年から震災映像の上映や被災体験談の語り部活動を続けてきましたが、語り部の高齢化と公的な伝承施設の整備が進んだことを受け、その役目を終えたとして活動に区切りをつけています。「地震だ!津波だ!さぁ逃げろ!」というメッセージを込めた13分間の映像は、代表の齊藤賢治さんの言葉とともに、今も公式サイトで見ることができます。

より詳しく学びたい方には、三陸復興国立公園・碁石海岸内にある「大船渡市立博物館」もおすすめです。


気仙地域の化石や土偶といった自然史・考古学の展示に加え、明治29年・昭和8年の三陸地震津波、1960年のチリ地震津波、そして東日本大震災まで、この土地を繰り返し襲ってきた津波の記録を一堂に展示しています。市民が撮影した震災の記録映像「荒れ狂う海〜津波常習地・大船渡〜」(日本語のほか英語・中国語・韓国語にも対応)も上映されており、子ども向けにはスケッチシート体験(描いた絵が館内に1週間展示された後、館長からの手紙とともに手元に返送される)というユニークな取り組みもあります。

ちなみに、2024年にロサンゼルス・ドジャースに入団した佐々木朗希選手は陸前高田市出身で、実母の親戚がいる大船渡市に移住し、震災後は仮設住宅で暮らしていた時期があるそうです。

大船渡は、震災だけでなく山火事にも見舞われた土地でもあります。2025年2月26日、赤崎町合足地区で発生した山林火災は、強風にあおられて三陸町綾里まで延焼。焼失面積は2,900〜3,370haにおよび、平成以降、日本国内で最大規模の山林火災となりました(2位は同年2026年4月の大槌町山林火災)。90代男性1人が犠牲になったほか、住家90棟(うち全壊54棟)が被害を受けています。大槌町の火災とは別の出来事ですが、同じ三陸の地が、震災の14年後にもう一つの災害と向き合ったという事実です。

Ofunato — a fishing port at one of the world’s three great fishing grounds, home to a poplar tree that refused to fall, and to a gymnasium that sheltered 600 people who climbed a cliff with their bare hands.

復興市街地の中心・大船渡駅前大船渡プラザホテル
昭和58年創業、地元で長年愛されてきたホテルです。震災で一時休館を余儀なくされましたが、その年の12月にはもう補修を終えて営業を再開。その後、2016年3月には、キャッセン大船渡と同じ「新しい復興市街地」の中心へと移転新築し、宿泊・宴会・レストラン・結婚式場も揃う複合ホテルとして生まれ変わりました。JR大船渡線BRT大船渡駅から徒歩1分という好立地で、最上階のデラックスツインからは大船渡湾を一望でき、夏の花火大会も部屋から観賞できます。三陸海岸の食材を使った和食中心のバイキング朝食も評判です。
Ofunato Plaza Hotel — closed briefly by the tsunami, reopened that same December, and rebuilt again in 2016 at the heart of the town’s new recovery district.

震災で残った校舎が、交流拠点に三陸アクティブ(甫嶺復興交流推進センター)
震災当時、三陸町越喜来地区にあった越喜来・崎浜・甫嶺の3小学校のうち2校が被災し、使用できなくなりました。被害の少なかった甫嶺小学校に、被災した2校の生徒たちも集まり、狭いながらも4月には授業が再開されたといいます。震災前から予定されていた3校統合が、震災を機に実施され、旧甫嶺小学校の校舎は2015年に廃校に。その校舎を守りたいという地元有志の思いから、2020年、廃校をリノベーションした宿泊型交流施設「甫嶺復興交流推進センター」が誕生しました。運営会社「三陸アクティブ」も、この経緯から生まれた地域の会社です。最大72人が泊まれるドミトリー、BMXコースや室内パーク、郷土料理作り体験、サウナ、貝殻アクセサリー作りなど、震災の記憶を守った校舎が、今は誰もが楽しめる交流拠点として生まれ変わっています。
Sanriku Active — the one school building that survived when the tsunami took two others nearby, now reopened as a hostel and activity center for everyone.

6️⃣
STEP6:山田町(無人島とカキの湾)
震災後、むしろ品質が上がったという牡蠣

🗺️ 三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」下車

山田町のシンボルのひとつ、「東北唯一の無人島海水浴場」として親しまれてきたオランダ島は、震災で施設・遊歩道・桟橋が被災し、長らく海水浴が休止していました。町民や有志団体による倒木撤去・清掃活動、国の復興事業による整備を経て、10年ぶりに海開きが実現。現在は「無人島キャンプ」など新しい体験観光も企画されています。


震災発生から1年後の3月11日、町民が避難した場所に「鎮魂の鐘」が除幕されました。近くには、震災の大火災で焼失したJR陸中山田駅の屋上にあった大時計も展示されています。まちなか交流センター内の「山田町震災伝承ギャラリー」では、町内各地区の被災状況や船越小学校の避難の軌跡、復興後の街並みなどがパネル展示され、証言映像も放映されています。入館無料。

山田町の復興まちづくりが目指したのは、「コンパクトなまちづくり」でした。震災前は広範囲に分散していた商店・図書館・郵便局・銀行を、三陸鉄道リアス線・陸中山田駅周辺の「まちなか再生区域」に集約。災害公営住宅(146戸)もこのエリアに隣接させ、暮らしやすさを確保しています。オランダの風車をイメージしてデザインされた陸中山田駅も、まちのシンボルのひとつです。山田町観光協会の「震災ガイド&まち歩き」では、地元ガイドが街を歩きながら、震災当時のこと、駅を中心に生まれ変わった「コンパクトシティ」のこと、そして経験に基づく防災の知恵を語ってくれます。

プランクトン豊かな山田湾で育つカキは、震災後、身が大きく締まり、濃厚な味わいへと品質が向上したといわれています。波が穏やかな山田湾では、初心者でも気軽にシーカヤックを楽しめる艇庫(4〜10月)もあります。

Yamada — a bay once closed to swimmers, now home to an uninhabited island campsite and oysters said to taste better than before.

お取り寄せ山田湾の牡蠣


🌟 番外編:三陸鉄道・酒蔵・久慈市・浄土ヶ浜
復興の象徴に乗って、三陸をめぐる

🚃 三陸鉄道——復興の象徴に乗る旅

三陸鉄道は、震災でJR山田線の釜石〜宮古間が不通になった後、2019年3月にその区間が三陸鉄道に移管され、「リアス線」として盛駅から久慈駅までの163kmを結ぶ、第三セクターとして国内最長の路線になりました。白・赤・青のトリコロールカラーの車両は、被災地の復興を目指すシンボルとして親しまれています。全線通し列車は所要時間4時間半前後(途中駅での停車時間含む)。2026年3月には、震災から15年の節目に合わせた復興祈念試合(釜石シーウェイブス)に合わせた臨時列車も運行されました。この記事でご紹介した陸前高田・釜石・宮古田老・大槌・大船渡・山田、いずれのエリアも三陸鉄道または大船渡線BRTでつながっています。


震災伝承だけでなく、純粋な鉄道旅としても楽しめるのが三陸鉄道の魅力です。冬の名物「こたつ列車」(久慈〜宮古間、日本で初めて座席をこたつ仕様にした列車)、宮古〜釜石間を走る「洋風こたつ列車」、岩手まるごと博物館をイメージした「お座敷車両」、昭和初期を思わせる「レトロ調車両」など、季節や区間によってさまざまなイベント列車が運行されています。過去にはワイン列車・ビール列車・地酒列車、三陸縦断の夜行列車「さんりくあさかぜ号」なども企画されました。車両を貸し切っての旅も可能です。一方で、震災の記憶をしっかり学びたい方には「三陸鉄道震災学習列車」もあります。三陸鉄道の社員や沿線住民が車内で案内をしながら、被災地の「今」を列車で移動しながら直接見て・聞いて・感じられる、防災学習を目的とした列車です。

The Sanriku Railway — rebuilt after the tsunami, now the longest third-sector line in Japan, and a symbol of recovery in itself.

🍶 三陸の酒蔵、それぞれの再生

岩手沿岸には、震災で大きな被害を受けながらも、まったく違う形で再生を果たした2つの酒蔵があります。

酔仙酒造(陸前高田市)は、岩手県沿岸の8軒の蔵が戦時中に合併して生まれた歴史ある蔵元です。震災の津波で、すべての蔵・設備を失っただけでなく、7人の蔵人の命も失うという、最も痛ましい被害を受けました。それでも「受け継いできたものを未来へ残したい」という思いから、すぐに復興に向けた活動を始め、着々と元の姿を取り戻してきました。冬季限定の「雪っこ」(にごり活性原酒)は、牛乳割りにすると飲みやすいと、近年は若い女性を中心に人気を集めています。



赤武酒造は、震災前は大槌町にありましたが、津波で蔵そのものを失いました。奇跡的に、岩手県工業技術センターに研究用として保管されていた「浜娘」の酵母だけが無事に残り、盛岡市に新設した工場「復活蔵」で酒造りを再開。看板銘柄「AKABU(赤武)」は、「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2014」で金賞を受賞するまでになりました。蔵は大槌町から離れましたが、酵母という”種”をつなぎ、新しい土地で花開かせた物語です。



Two breweries, two paths — one that rebuilt on the same soil, one that carried only its yeast to a new home.

🐦 宮古うみねこ丸——ウミネコと飛ぶ、復興の船

浄土ヶ浜には、58年にわたって親しまれてきた遊覧船がありましたが、2021年1月に運航を終了しました。「浄土ヶ浜観光の象徴として、遊覧船は必要だ」という市民や観光関係者の惜しむ声を受け、宮古市が新しい船を建造。2022年5月、「宮古うみねこ丸」として生まれ変わりました。船体には「浄土ヶ浜エターナルグリーン」という色が使われ、前方から伸びるラインのデザインには、市民の復興への想いが込められているといいます。デッキでは、飛びながら並走するウミネコに、船内で購入したエサを直接あげられる体験も人気。国指定名勝「浄土ヶ浜」や、ローソク岩などの奇岩をめぐる約30分の航路で、ガイドが震災当時の様子を説明してくれることもあります。震災で一度途切れかけた名物が、地域の声で新しく受け継がれた、明るい復興の物語です。

The Uminekomaru — a beloved sightseeing boat that ended after 58 years, rebuilt by popular demand, now known for letting visitors feed the seagulls that fly alongside it.

📱 スマホをかざすと、消えた建物が現れる——震災伝承ARアプリ

大槌町では、2023年にユニークな取り組みが始まりました。町と凸版印刷が共同開発した「大槌町震災伝承ARアプリ」(無料)です。すでに解体された旧役場庁舎跡地と、観光船「はまゆり」が乗り上げた旧民宿あかぶ跡地の2箇所で、スマートフォンのカメラをかざすと、震災直後の被災建築物の姿を拡張現実(AR)で見ることができます。津波の高さも旧役場庁舎10.7m、旧民宿あかぶ12.9mとスケール表示され、数字だけでは実感しにくい津波の規模を、目の前の風景に重ねて体感できます。建物がすでに取り壊され、更地になった場所にこそ生きる、震災遺構とは違うもう一つの伝承のかたちです。

An AR app that lets visitors see, through their phone, buildings the tsunami destroyed and time has since erased.

📺 久慈市——三陸鉄道の終着点と、「あまちゃん」の物語

三陸鉄道の北の終着駅・久慈駅は、被災からわずか5日後、区間を限定して営業運転を再開しました。当時の望月正彦社長は、沿線自治体の了解を取り付けて国に支援要請を行い、独断で復旧工事の発注に踏み切ったといいます。駅舎ごと流された地区もある中、「3年後の子どもたちの入学式に間に合わせたい」という思いのもと、鉄道会社とゼネコン、住民が協力し合い、2014年4月6日、盛駅から久慈駅までの全線が復活しました。

震災のわずか2年後、2013年に放送されたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」は、三陸鉄道が「北三陸鉄道」として登場し、久慈駅は物語の終着駅「北三陸駅」のモデルになりました。望月社長は「あまちゃんの放映も、復興を目指す私たちの大きな励みになった」と振り返っています。震災からわずか2年での放送は、被災地の人々にとって、日本中が三陸を明るく見つめ直すきっかけにもなりました。名物「うに弁当」は、劇中でヒロインが販売するウニ丼のモデルとしても知られています。久慈市には、あまちゃんロケ地の小袖海岸・小袖海女センター、震災の枠を越えて楽しめる観光資源も揃っています。


久慈市に隣接する岩泉町には、日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」があります。「ドラゴンブルー」と称される透明度の高い地底湖が見どころで、久慈市からのドライブがてら立ち寄る方も多いスポットです。

全国唯一の地下水族科学館「もぐらんぴあ」も、震災を乗り越えた施設のひとつです。津波で全壊し、久慈駅前の空き店舗で「まちなか水族館」として応急再開した後、2016年4月、元の場所でリニューアルオープンしました。ここには、震災の奇跡を体現する生き物がいます。来館者から「カメ吉」と呼ばれ親しまれていたアオウミガメは、津波で施設が全壊した後、瓦礫の中から奇跡的に生存が確認されました。当初は元気がなく、水槽の底でじっと動かず、エサも口にしなかったそうです。久慈市に大型のウミガメを飼育できる設備がなかったため、青森県八戸市の水産科学館マリエントへおよそ5年間”疎開”。飼育員の努力で元気を取り戻し、2016年3月、無事にもぐらんぴあへ帰ってきました。今もトンネル水槽で来館者を迎えるカメ吉は、震災を生き抜いた”復興のシンボル”です。館内の「防災展示室あーすぴあ」では、震災当時の津波の様子も紹介されています。

Kuji — the railway’s northern terminus, reopened just five days after the tsunami, and later the setting for a TV drama that helped the region smile again.

まとめ

東日本大震災から15年、三陸沿岸は震災の記憶を伝えながら、新しい物語を積み重ねてきました。奇跡的に残った一本の松、学校の生徒全員が生き延びた場所に建つスタジアム、防潮堤を超えた津波の教訓——それぞれの土地に、忘れてはならない記憶があります。震災復興の象徴である三陸鉄道に乗って、この機会に三陸を訪れてみませんか。

💛 岩手・三陸を応援する(ふるさと納税)
三陸の海の幸と、地元の味を応援消費で

「訪れることが難しい」という方や、「岩手・三陸を応援したい」という方には、ふるさと納税という選択肢もあります。この記事でご紹介した6つのエリアそれぞれの返礼品をご紹介します。

🎁 返礼品ありのふるさと納税(6選)

牡蠣・うに・牛タンなど、三陸ならではの海の幸から、地元の銘菓、防災用品まで、6エリアの返礼品が選べます。

① 陸前高田市:三陸牡蠣(マルテン水産)


② 釜石市:三陸海宝漬(中村家)


③ 宮古市:厚切り塩だれ牛タン


④ 大槌町:ボックスティッシュ(防災備蓄用)


⑤ 大船渡市:アーモンドロック(おおうらや)


⑥ 山田町:牛乳瓶入り生うに(川石水産)



🕊️ 大槌町 山火事災害支援寄附金(返礼品なし)

2026年4月の山林火災を受け、大槌町が受け付けている緊急寄附です。寄附額の全額が、火災からの復旧・復興に充てられます。震災に続き山火事にも見舞われた大槌町へ、直接支援を届けたい方はこちらをご利用ください。



💛 「ふるさと納税って何?」という方はこちら|仕組みとやり方をやさしく解説 →

💛 想いを贈る復興応援旅シリーズ

🏯 想いを贈る能登復興応援の旅——令和6年能登半島地震【最新版】 →
🐟 想いを贈る山古志復興応援の旅——新潟県中越地震から20年【最新版】 →
🐮 想いを贈る令和8年熊本地震 支援ガイド【最新版】 →
⚓ 想いを贈る岩手復興応援の旅——東日本大震災【最新版】 →

宮城・福島編も準備中です。順次公開していきます。

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